金 光 教 合 楽 教 会 の 御 理 解

平成12年6月1日 月例祭御教話(親先生)


 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」。これは、私が初代のお手代わりをさせて
頂きました時分の心境です。これの本当の意味は知りませんけれども、当時、本当
に力を受けたい、本当の事が分かりたい、という時です。そういう意味で、もう見
聞きする全てが、私の師匠でした。ところが、内容もないのに、こうやって、人か
ら親先生と言われるようになります。本当に恐いですね。
 先日、研修の時に、この耳納山の中腹に鰐渕というお滝場がございますが、そこ
に行ったことがある人、と言いましたら、殆どの修行生の人達が行ってないんです。
そこで、先月の30日に、昼から行かせて頂いたのですが、その日の午前中に月刊
『合楽』が届いたので、ぱらっとめくりましたら、初代の御伝記のところが出まし
て、何と、丁度その御事跡が載ってるんです。
 初代が北京から引き揚げて、一番最初に取り組まれたのが、親教会の40年の記
念祭です。初代は、記念祭の費用を、私1人ででもおかげ頂きたいと腹を決められ
ます。おかげを頂いて、とんとん拍子で売れるんですが、2カ月、3カ月経つうち
に、儲けにならないことが次々と起きてきて、御大祭まであと1カ月しかないとい
うのに、何のお供えも出来ない状態になられます。そこで初代が、「これほど一生
懸命なのに、神様どういうことですか」と、神様と直談判するような思いで、とい
うのが、そこからの件です。
 「それから、私は草野の上の、耳納山の中腹の所までまいりました。ところが、
その山の中腹までまいりました時に、忘れもしませんが、11月だというのに、そ
れこそ、一天にわかに掻き曇りましてね、竜が昇天する時はこういう時ではなかろ
うかというように、真っ黒うなって、すさまじいまでの雷雨です」と。そこで駆け
込まれたのが、鰐淵のお滝場でした。お滝に打たれながら、2、3泊なさるんです
が、2日目の朝方にお夢を頂かれます。1間真四角くらいの井戸に、大きな真鯉が
悠々と泳いでいる。それを見た瞬間、「今度の記念祭のお供えはこれだ」と思われ
るのですが、そう思いながら、井戸の縁に上がって、井戸の中に立小便をしていて、
「これではお供えできない」と思っているところで目を覚まされる、というところ
を開いたんです。
 それで、鰐渕のお滝場に行ったら、帰りに場所のいい所で、皆で食事をしようと
いうことになりました。そして、ピースご飯を飯盒で炊こうということになって、
誰かが、「光昭先生、飯盒を炊いて頂けませんか」と言ったんですね。光昭は少年
少女会のお世話をしてましたから、飯盒炊さんが得意なんですね。ところが、「何
で俺がせなんとか」と言うんです。そのことが、今日、ものすごく引っ掛かるんで
す。最初に申しましたように、「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」と言うけれど
も、大坪家がなんぼのものでしょうか。
 初代が、この合楽理念を現すには、謙虚だよ、とおっしゃったんです。私は、最
近、それを思うんです。今は、もう寝ても覚めても、思うのは、この教祖様のご信
心です。これ程しの教祖様のご信心をなぜ、現せなかったのか。確かに、天下の名
教と言うてきましたよ。何をもって、言ってきたんですか。ただ霊験あらたかな金
光教じゃないですか。そんな事じゃないです。天地金乃神様が、教祖金光大神様に
託された願いは、一体何だったんだろうか。『覚書』『覚帳』を拝読すると、それ
がはっきりします。それは、もう間違いなく、「一切が神愛」ということだと思い
ます。ところが、一切神愛を語る人は、自分がその体験、いわゆる実験実証を積み
重ねとかなければ、語れないのです。それは、どういうことかと言いますと、あの
体験によって、この事によって、私が一力受けました、この事によって私が一改ま
り出来ましたというような実験実証です。
 初代は、そこのところを、ご入院なさいまして最初の正月に、メッセージして下
さいました。「とにかく、合楽にね、ご縁を頂いておる一人ひとりが、本当に『一
切が神愛』ということを、めいめいの信心体験で確信してもらうということだと思
うな。そこから、これは日本国中というよりも世界中の人間に、『こんなにも間違
いのない、人間が幸せになれる道があるんだ』ということを伝えていける、そのた
めには、やはり、その実験を、実証をすることだよね。ただおかげを頂くとか、そ
の時その時の困った問題、難儀な問題を解決して頂くというのではなく、合楽にか
けられる御神願は、もう、ここだと思うな」とおっしゃったわけです。
 先日、ある成り行きの中で、大奥様のお見舞いをさせて頂きました。大変な修行
です、皆さん。それこそ絶句でした。中に入って、大奥様と直接手を握らせて頂き
ました。何にも言いませんでした。そして、この大奥様のご修行をどう頂くのか、
何を祈ってあげることが一番の親孝行なんだろうか、ということです。もちろん肉
親の親です。本当に、痛みが取れますように、早く全快致しますように、と祈らず
におられません。けれども、例えば、これは松村先生が頂いておられますように、
このご修行によって、初代と同格という、御神格が頂けるとするならば、「さあ、
この痛みを取って下さい」と祈れましょうか。
 大奥様にこれほどのご修行を頂いているのですから、この大奥様のご修行によっ
て、私が、一力受けよう、私の改まりの材料とさせて頂こう、としなければ、本当
に勿体無いですよ。初代に致しましても、教祖様に致しましても、間違いなく、そ
うやって信心を進められた方です。そして、願い以上、思い以上の世界に住まわれ
た方です。そういうおかげの実証を現したい。金光教が独立して、今年が、ちょう
ど百年になるそうです。そういう意味で、金光教の独自の助かり方を打ち出してい
く、素晴らしい節年を頂いておると思いますね。 どうぞ。





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