平成12年3月5日 和賀心デー御理解(親先生)
御理解第39節 此方の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ。
お道の信仰による行の目的は神に向かう神に近づくにあります。家業に精を出して
居れば修行しているような思い方をしてはなりません。
家業の行の中に真に有難し、又人が助かることさえ出来ればの精神が育ってゆかね
ばなりませんが、なかなか難しいことであります。
そのような神心、奉仕の心が頂ける為にやはり火の行も水の行も、又心行も必要で
あります。
すべての行はそこが体得出来て家業になり、はじめて「家業即行」「行即家業」と
いうことが出来るのです。
本来、修行の眼目は己を乱さないというにあります。火にも焼けない、水にも流さ
れない自分を修めてゆくのです。 (昭45・7・21)
※神に向かうための形の行も心の行も、行という行がすべて大切であります。そ
の精神を体得しての家業になりますと、教祖の神意、いわゆる家業の業の行の
意味がわかります。
今、教祖様のご信心の足跡を辿らせて頂いて、いよいよ明らかになってまいりま
したことは、教祖様という方は、「家業の行」一本で生神になられたお方であり、
その助かりを頂かれたお方だということでございます。
ところが、まだ教祖様のことを勉強させて頂く前は、例えばこの御理解でも、た
だの道徳訓ぐらいな感じで、勤勉に、真面目に、実意に家業を勤めればよいという
程度のところで見ておりましたですね。現在、金光教の中でも、その程度にしか理
解されていないのではないでしょうか。ところが、教祖様は、「人がよいのと神に
信心しておかげを受けるのとは別ものぞ」とはっきり言っておられるのです。これ
は、教祖様御自身のご体験の中から、こういうみ教えが生まれてきておると思うん
です。そして、合楽では、この家業の行という内容が、だんだん稽古され、その取
り組みをさせて頂いておるのです。
ただ問題は、例えば私達が生活させて頂く中で、これが火の行だろう、これが水
の行だろう、というようなことがございます。その時に、分かっていても、「どう
して」と後退りをする。「これほど信心するのに」とやっぱり思うことがあります
ね。それなのです。ところが、初代の御修行時代のことを思うてみて下さい。それ
こそ破れ靴に破れ鞄というような時にも、周囲の人から、「大坪さん、ほんなこつ
有り難かとね」と言われるぐらい、少しもたじろいでおられないんです。それはな
ぜかと申しますと、初代が終戦後、引き揚げて見えて、決心なさいますよね。いわ
ゆる信心の目覚めがあったからです。「今までの生き方、今までのおかげ信心では
駄目であった。本気で信心してみよう」と。
どうでしょうか。ここの転換が、お互いは、出来ているようで出来てないのです。
生活のために、成り行きを尊んでいるのです。おかげが頂きたいから、成り行きを
尊んでいるに過ぎないのです。しかし初代は、「一切が信心のためにある、という
ことになった」とおっしゃるのです。だからと言って、真の信心になったというこ
とではありません。まだ、ご神愛というようなことは全く分かってはおられないの
です。けれども、少なくとも、生活のための信心から、信心のためにすべてがある
というところに、方向が180度換わったとおっしゃるのです。
ここだと思うんです。私達の場合は、本当のことが分かっているわけですが、た
だ向きが、どちらを向いているのか、ということです。ところが、これも、段階を
追って、と申しましょうか、皆さんも、180度とまではいかなくても、90度く
らいは、だんだん向きが換わってきているんじゃないでしょうか。
昨日は松栄会でしたが、私は感動しました。会長を麻生さんが務めてますが、第
1回目の合楽理念講座をして頂きましたら、メモ帳に10枚ぐらい資料作りをして
おられるのです。私は、そういう意味で、今皆さんが、「本気で」というところま
で来たのではないかという感じがするのです。また、鹿児島の佐田さんは、寮長を
しておりますが、学生さんが卒業する時に、「おじさん、あなたの渾名は、成り行
きおじさんですよ」と言われたそうです。これはもう、御神格です。それから、今
朝白木さんが、お夢で、「宮崎さんは、何色の服を着ても似合うよね」と頂いたそ
うです。今、宮崎さんは、そういう修行の真っ最中です。あの昔のジガジガの宮崎
さんから、重子さんが「今のお姉さんを見ていると、モジョモジョしたくなる」と
言われますように、心が豊かになっていっておられるのです。この調子でいくなら、
私も生神になれると思っていいと思いますよ。お互いが、そういう道を辿らせて頂
いて信心の稽古をしておられるのです。それこそ、私のような者が、「最初には、
さほど好きではなかったけれども、会う度毎の親切が、身にしみじみと染み込んで、
今ではこちらが命懸け」ということになってきておるのです。ですから、そういう
意味で、改めて、教祖金光大神様の助かりの本質を見定めての信心を、したいもの
だと思います。
そして今日改めて、教祖様に、本当に、こんな凡人が助かる道をつけて下さった
ということに、お礼させて頂きました。いよいよ金光教の助かりを証明したい。こ
れほどしの宗教を世の人々に知らしめたい。そういう願いをお互いが持たせて頂い
て、ミニ御理解にあります、「そのような神心、奉仕の心が頂ける」ような精進を
させて頂きたいと思いますね。 どうぞ。
平成12年3月3日 朝の御理解(親先生)
御理解第28節
病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九
分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるよ
うなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるま
で、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せ
よ。
わかり切った道理をもって説いておられますが、なかなか出来る人が少ない。
お道の信心は、ふぐ料理を食するようなもので、繰り返し繰り返しの水洗いが肝心
で、天下一品の珍味を食しようと思えば、其の手数と度胸を求められます。
井戸は清水になるまでのおかげを受ける為に根気と根性が大切です。
少しばかりのおかげに腰掛けず、湧き出るばかりのおかげを頂きたいものです。
(昭45・7・10)
私は、昨日、気がかりなお取次をさせて頂きました。心にずっと引っかかるとい
うのは、神様が、引っかからせて下さっておるわけですから、ご神意が分かるまで
は、問題にし続けるがいいと思いますね。
椛目時代には、大変熱心にお参りをなさった一家なんですが、その元になる方が、
昨日、亡くなられました。もう90近くなられるんでしょうか。これは、私が親教
会での修行時代でしたが、そこの娘さんが、恋人に振られて、発狂なさいました。
それが、私が、椛目に帰る度に、お広前で、その人と会うんです。当時、合楽理念
なんかございませんでしたから、真夏の炎天下に、親教会の奥城で、その度に御祈
念させて頂いた思い出があります。おかげを頂かれまして、普通の結婚をして、今
日おかげを頂いておられます。そのお母さんというのが、男勝りのようなお方でし
たが、「椛目、椛目」「親先生、親先生」で、参っておられました。ところが、あ
る宗教団体に改宗なさって、そこでの葬儀があったというお届けを聞きまして、何
か、本当に切ない、これは何だろう、と思うんですね。本当に私の力不足を感じま
すし、そこまでの教導が出来なかったことを、同時に思います。そういう思いの中
で、今朝のこの御理解を頂いております。
私は、よく「井戸掘りするがいいですか。コップ1杯の水を貰うがいいですか」
というようなことを申しますけれども、「苦労しないで貰えるなら、コップ1杯の
水でいい」と、やっぱり思うのですね。ここなんです。だから、私が、最近思いま
すのに、私達が、宗教に何を求めて信心するのか、なんです。岸本英夫という、有
名な宗教学者が、「宗教とは、究極的助かりを与えるものでなければならない」と
いう定義付けをしておられますが、「お互いがどういう助かり方をしたいか」なん
です。確かに、「一握りのおにぎり」でもいいし、「コップ1杯の水」でも助かる。
けれども、間違いなく、金光教は、この「井戸掘りの助かり方」を教える宗教です。
教祖様は、問題だらけの中で、ご生涯を過ごされます。教祖様のご時代は、お広
前は16畳です。当時、50年後、100年後に、今日のような金光教になると、
誰が予測したでしょうか。あのご長男の正神様は、後々は副管長まで務められます。
お嬢さま方も、2人とも離縁なさっておられますが、後々は古川家、藤井家という、
なくてはならないことになっておられます。
教祖様のご時代には、不成就のことが幾つもありました。けれども、これが後々
には、願い以上、思い以上、いや夢にも思わないような展開をしていくわけです。
「不成就即神愛」の所以がここにあります。『金光教教典』をお持ちの方は120
ページを広げられると、「一つ、妻身上、くら身上、二十八日夜子供やぶへ納め。
子供五人身上、神がよきようにいたしてやる。三備州」という、謎めいたお知らせ
があります。現在、教祖様の子孫の方々が、備前、備中、備後のすべてに、布教な
さってるんだそうです。また、明治12年には、145ページ、37節に、「宮殿
楼閣七堂伽藍、いらかをならべて建て続けさする」というお知らせが載っています。
当時としては、とても信じられないことです。けれども、現在、金光教が、そうな
ってるじゃありませんか。
これは、初代だって同じでしょうが。それこそ裸同様で引き揚げて見えて、本当
に貧のどん底も味わわれました。次々と身内の人も亡くなりました。そういう意味
で、「井戸が清水になるまで」ということは、こういうことか、というものを私達
は目の当たりに見せて頂いておるのでございます。ところが、この初代の、「わか
り切った道理をもって説いておられますが、なかなか出来る人が少ない」という、
この一言です。ですから、本当の信心を頂く人が、本当のおかげの実証をして下さ
る人達が、せめて百人、それを「百人一徳者」と初代が言われたんですけれども、
せめて百人、その実証者が、欲しいのです。
今日は、何か切々と「不思議と縁をうけながら、妙賀(信心のよろこび)にもふ
れずに縁を切ってゆく人、富貴繁昌のもとにもなるおかげも、うけられるのに。お
しいことである、悲しいことである」ということが、伝わってくるのです。そうい
う意味で、お互いが、どうでも井戸掘りのできるところまで、金光教を証明してみ
たい、と思います。金光教が証明されるということは、子孫繁盛家繁盛が証明され
ることです。本当に、子孫繁盛家繁盛のおかげを頂かなければ、金光教にご縁を頂
いた値打ちはないのです。どうでも値打ちを、値打ち足らしめるような信心をさせ
て頂きたい、と思いますね。 どうぞ。
平成12年3月2日 朝の御理解(親先生)
御理解第71節
ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。夜夜中、ど
ういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ。子供がある者や日傭
取りは出て来るわけにゆかぬ。病人があったりすれば、捨てておいて参って来る
ことはできぬ。まめな時ここへ参って信心のけいこをしておけ。
痒い時に掻いて貰い、痛い時にさすって貰うだけの信心なら稽古はいらぬ。
痛い事もおかげ、痒い事もおかげとわからして貰う為には、真の信心を目指す一心
の稽古が要る。
またの教えに『彼もおかげであった此もおかげであったと云う事が了解るようにな
る。さうなれば真実の信者じゃ』とある。
(昭57・7・31)
隣のミニ御理解には、「たとえば野球を見物する多くの観衆、中で試合をする選
手達。見物するのも楽しいが、試合をする人達ハもっと楽しく、日頃の練習にもの
言わせ実力を競い合う喜びは、勝っても負けても又格別であろうように、信心もま
た、見たり聞いたりするだけでなく、信心者の選手をめざさねバ本当の信心の有難
さは望めません。一にも稽古、二にも稽古」とあります。
先日、ある青年が、「先生、楽して食べられる、楽して儲かる、それが、今の若
い者の考え方ですよ」と言うんですね。このミニ御理解で言えば、観衆の方が楽で
すよね。けれども、私達の場合は、好むと好まざるとにかかわらず、人生という土
俵に上がっておるんです。毎日、毎日、何かの問題と取り組まなければならないの
です。だから観客では済まされないのです。親先生にお願いして、おかげを頂きま
す。それでいつまでも通用するはずがないじゃないですか。その問題は、あなたが
取り組む問題です。御霊払いをしたり、壺を買ったりして、それで解決のつく問題
じゃないのです。あなたの人生でしょうが。私の人生ですよ。そして、あなたに、
その問題は立ち向かっているんでしょうが。私達自身で、それと取り組まなければ
ならないのです。
ところが、今までの宗教は、「痒い時に掻いて貰い、痛い時にさすって貰うだけ
の信心」だったのです。これは、私が最近実感いたしますことですが、教祖金光大
神様が明らかにして下さった、この信心というものは、今までの宗教観念を一遍切
り捨ててもらわなければ、分からないと思うんです。
昨日は、月例祭前に高田のおばあちゃんのご帰幽、そして親教会の次男の方の大
変な事故のお取次をさせて頂いて、本当に今、神様が、「さあどうする」というよ
うな、何か差し迫った問題を突き付けておられるような気がするんです。言うなら
ば、寒天危地の道を歩くのか、歓天喜地の道を歩くのか、「さあどうする」という
ような感じがするんです。ですから、お互いが、その問題と本気で取り組む力を頂
くことです。その度毎に、信心の位を頂いていくことです。
吉富さんのお宅では、玄関に、教祖様の御教えを掲示してあるんだそうです。そ
れで今度、「金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ」というのを掲げられ
たということです。この子孫繁盛家繁盛ということですが、どうも、この言葉には、
あれよあれよと繁盛する、というようなイメージがあるんです。ところが、お道の
子孫繁盛家繁盛というのは、「細うても長う続かねば繁盛でないぞ」とおっしゃい
ますように、地道な繁盛です。そういう意味で、お互いが、本当に、子々孫々に残
るような助かり方、繁盛の仕方というものを求めない限り、「楽して儲けたい」と
か、また、過去の宗教がやってきたように、問題があれば、お参りして、お願いし
ておかげを頂く、ということで終ってしまいます。
私が昨日、本当に不思議だなあ、と思いましたのは、例えば、『覚帳』の記述の
中に、白神新一郎先生の話も出てきます、近藤藤守先生も出てくるんですが、白神
新一郎先生が、開眼のおかげを頂いたとか、近藤藤守先生の脳漏が、全快のおかげ
を頂いたとか、それこそ枚挙にいとまがない霊験奇跡は、一行も書いておられない
のです。これは皆さん、どう思いますか。教祖様は、不成就のことばかりをなぜ書
き残されたのか、ということです。教祖様は何を私達におっしゃりたかったのでし
ょうか。そうしました時に、教祖様は、間違いなく、問題と取り組みながら力を受
けられた方です。信心の位を頂かれた方です。ですから、このような御理解になる
んじゃありませんか。
「信心のけいこ」という言葉も、金光教独自の用語だそうです。岸本英夫という、
当時東大教授の宗教学者が、信心の稽古と聞いて、びっくりなさっているんです。
「金光教にはすごい言葉がありますね」と。私は、いろんな宗教家と会わせて頂き
ましたが、最後に「先生、信心を進めるための手立ては何ですか」と訊くと、「祈
ること、教典を読むことです」と言われるだけです。稽古の手立てがないんです。
何の稽古事でも、上手になるための稽古の手順があります。ところが、宗教には、
それがないんです。それがないから、あんな難行苦行をしたり、壺を買いなさいと
か、御霊様を拝みなさいとか、そのようなことを言うわけでしょう。ところが、教
祖様の場合、それがあったのです。あったから、「ここへは信心のけいこをしに来
るのである」とおっしゃるのです。そういう意味で、私どもは、教祖様が残された
この信心の、助かりの道をたどらせて頂いて、本気で力を受けて、助かりの手順を
明らかにしたいと思います。 どうぞ。
平成12年3月1日 月例祭御教話(親先生)
私どもは、縁がありまして、こうして合楽教会で信心の稽古をさせて頂いており
ます。お互いが、ほかの宗教ではなくて、なぜ金光教にご縁を頂いたのか、なぜ合
楽教会にご縁を頂いたのか、ということを認識しての信心でなければなりません。
それでは、お互いがなぜ、金光教にご縁を頂いたんでしょうか。それは、教祖金光
大神様の助かり方を、私達が学ばせて頂くことのためでございましょう。ですから、
そのためにも、金光教の信心の本質を分かることです。
今日は、小森野の高田のおばあさんが、ご帰幽になりました。今年に入ってから
の、この成り行きは、一体何だろうと思うんですね。そういう思いで、今日の月例
祭を頂きました。そして、私の中で、金光教というのは、成り行きの正体を見極め
る宗教だな、と改めて結論付けられました。
どうでしょうか、皆さん。うちの宗教をすれば、死人が甦ります。うちの教祖様
は空を飛んでみせます。そういう宗教の方が本当でしょうか。ですから、お互いが、
宗教に何を求めるのか、ということです。私は今、時間があれば、改めて、教祖様
の『覚書』『覚帳』を開いて拝読させて頂くんですが、その度に、「私の信心を明
らかにしてもらいたい」というような、教祖様の叫びを聞く思いがするんですね。
また、成り行きの中で、いろんな宗教も勉強させて頂きました。例えば一教の教祖
と言われる方の言い伝えが、いろいろ残ってるんですが、残念ながら、何百年前、
何千年前の方でしょう。資料が、わずかしかないんです。ですから、それこそとん
でもない教祖像が描かれるわけです。改めて、私どもの教祖様の『覚書』『覚帳』
を見て下さいませんか。生まれ所から、詳しく書かれています。そして、開くとこ
ろ、開くところが、不成就物語です。そして、今日御祈念をさせて頂きながら、例
えば、白神新一郎先生が、開眼のおかげを頂かれるとか、教祖様も数々のおかげを
現しておられますが、そんなことは、一行も書かれていないのです。宗祖教祖の物
語は、普通なら、不思議な生まれ方をして、超人的な働きを現したという奇跡物語
ばっかりです。これは、何を教祖様が私達に訴えておられるのでしょうか。
まず、金光教の独自性の第一が、この『覚書』『覚帳』の存在だと思います。一
教の教祖が、自ら、生まれた時から亡くなるまでのことを書き綴られたものは、宗
教史上ないそうです。114ページを開いて下さい。明治7年ですから、教祖様の
61歳の時でございます。『覚書』は、その年から書き出されました。そのちょっ
と前から、正神様の無心がどんどん始まるんです。どうでしょうか。「これほど信
心するのに、神様、どういうご都合なんでしょうか」というような、内容だったの
ではなかろうか。何か、そういうものを私に、教祖様が訴えられる思いがするので
す。そして、生まれた時からずうっと書かれて、例の七墓のくだりに来ます。その
頃までは、「神仏願いてもかなわず、いたしかたなし。残念至極と始終思い暮らし」
の時代です。そして、いよいよご自身が、九死に一生というような大病になられま
す。そこで初めて、神様と出会われ、神様が助けて下さるのです。そこのくだりで、
「戌の年はよい。よし。ここへ這い這いも出て来い、と。今言うた氏子の心得ちが
い、其方は行き届き。正月朔日に、氏神広前まいり来て、どのように手を合わせて
頼んだか。氏神はじめ神々は、みなここへ来とるぞ」と書かれ、そこで大きな丸を
描かれています。そして、ふと、今度は明治7年に戻られ、「ここまで書いてから、
おのずと悲しゅうに相成り候」と。悲しゅうというのは、喜びが感極まったさまな
んだそうです。「私にもし信心がなかったらどうだったんだろう」と。そうしてみ
ると、「長男のこの問題も、全然問題じゃない。何とおかげを頂いておるものか」
と思われたのではないでしょうか。
昨日、永瀬さんが宅祭のお礼に、長女の純子さんと共に夫婦で来られました。日
頃無口な奥様から初めて、いろいろ昔話を聞かせて頂きました。純子さんが、6歳
の時に白血病になって、もう医者も匙を投げて、死ぬ直前の状態の時に、ご縁を頂
かれました。椛目で初めて初代に会って、電気に打たれたようになり、初代から
「永瀬さん、心配は全部ここに置いていかんの」と言われて、もう嘘のように今ま
での心配が取れて、病院に帰ったそうです。もう何日もの看病疲れで寝んでいた奥
様が目を覚ますと、何も喉を通らなかった6歳の純子さんが、自分でご飯を炊いて
食べていたのです。そして翌日、病院を抜け出して、今日までおかげを頂いている
のです。それに子供が産めない体なのに、4人の子供を授かっているんです。それ
を聞いて、純子さんが涙をぼろぼろ流すんです。純子さんも、初めて聞かれたので
す。「本当に純子さん、あんたなりの丸が描けるんじゃないの」というようなこと
でした。いや、こんなおかげ話なら、みんな喜ぶんです。
ところが、教祖様は、奇跡的なおかげについては一言も書かれないで、不成就の
ことばかりを書いておられます。私は、それを思う時に、教祖様は、「私も、あな
た達と同じ泥まみれの人生でした。その問題だらけの中に、私も信心を進めてきま
した。そして、階段を一段一段昇っていったのです」と訴えておられるのではなか
ろうか、と思います。そうしてみました時に、教祖様こそ、一切神愛の創設者です。
『覚書』『覚帳』は、ある意味で、「生きることも、死ぬことも、神様のご都合の
中にある」ということを訴えかけてくる本ですよ。十全の神様の心を現すというな
ら、私は金光教以外にない、と思います。
初代が亡くなってすぐの頃、愛子のお夢に初代が出てみえて「愛子さん、一切神
愛に草を生やしちゃできんよ」と言われました。教祖様が現して下さった一切神愛
に、草を生やしたら申しわけない、そういう感じのする月例祭でした。
平成12年3月1日 朝の御理解(親先生)
御理解第12節
神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神。
金光大神の御教えによって知るのは真の信心です。そこから天地の大恩がわかりま
す。又その大恩に報いる生活が出来るのです。
見るもの総てが神の形、聞こえるすべてを神の声と頂けるとき、はじめて天地まる
生かしの神を身体全体で感じとることが出来るようになります。
私は毎朝、天地を庭の口に出て拝みます。天地のエレキを充分に全身に受ける思い
がいたします。 (昭50・7・26)
次のミニ御理解の最後のところに、「御理解第十節、第十一節、第十二節ハ、教
祖が感じられた神であり、また見定められた神である。いうなれバ教祖の神観であ
る」とおっしゃっております。これは、私が最近実感いたしますことですが、金光
教の信心、また、金光教の神観というものは、今までの宗教観念とか、神観念を捨
てねば理解できない、ということです。今までの神様、いわゆるスーパーマンのよ
うな神様、全知全能の神様、そういう漫画のような神様のイメージを捨てなければ、
理解できない。または、「苦しい時の神頼み」という表現に代表されますように、
宗教に私達が求めてきたもの、そういう観念を一遍捨てなければ、本当は教祖金光
大神様のご信心は分からないだろう、と思います。
特に今、『覚書』『覚帳』を拝読する度に、私は、言いようのない、教祖様の訴
えを感じるのです。「私の頂いた信心を、私が辿ってきた道を明らかにしてもらい
たい」という声を聞かせて頂くのです。皆さん、もう一遍そういう目でご覧になり
ませんか。教祖様のような宗教者はありませんよ。
特に私どもは、この度成り行きの中でいろんな宗教書も、またいろんな宗祖教祖
と言われる方のご生涯も勉強させて頂きました。キリストにしても釈迦にしても、
わずかしか残ってない資料で、その人の生涯を描こうとするのですから、無理です
よ。そして、そこに書かれておることは、有り難い教えであったり、奇跡物語や英
雄譚で彩られてます。まあ、それはそれでいいんでしょうけれども、それに比べて、
教祖様の『覚書』『覚帳』には、神ながらなことですけれども、教祖様のご生誕か
らご帰幽までの足跡をきっちり残しておられます。伝記というのは、個人の生涯の
事跡の記録とあります。その人が、どういう道を歩いたか、ということです。それ
がない、それがあやふやということは、どうやって、そこに行ったかという道筋が
ないということでしょうが。「ここまでおいで、ここまで来たら助かるよ」と言わ
れるけれども、この事跡があやふやということは、どうやってそこに行ったらいい
んですか、ということになります。そうなりました時に、教祖金光大神様のご事跡
は、「何でここまで書かれるんですか」というようなことが、書き残されておるわ
けです。本当に、この『覚書』『覚帳』は、金光教の最高の商品ですよ。ですから、
そういう意味で、せっかく教祖様が辿られた、この道が、いうならあやふやになっ
た。誰もそこを通る人がないもんですから、せっかくの道に、草がぼうぼう生えて
しまった。そこで、大坪総一郎という方を、神様が差し向けて下さって、「お道修
繕」があったわけです。けれども、私どもが、合楽理念を下敷きにしなければ、教
祖様のご信心は分からないなどと言いますと、「何を偉そうなことを言うのだ」と
言われるでしょう。だからこれは、私達が本当に金光教を現したい、教祖様を現し
たいというものが、いよいよ本当なものに、大きくなっていかなきゃいけない、と
思います。
それでは、どういう信心を教祖様が残されたのか、どういう神様を見定められた
のか、ということです。御理解第10節、第11節、第12節には、「そこにここ
に神様がおられるよ。あなた達でも直ぐ神様に会えるんだよ」と教えておられるの
です。今までは、神に会った人というのは、特殊な人間ということになっているで
しょうが。そうじゃない、凡人の誰でもが、その気になれば、そこにここに神様を
感じられる。そういう信心を教祖様は、残されたんじゃありませんか。例えば、こ
の御理解12節に関しても、初代は、「見るもの総てが神の形、聞こえるすべてを
神の声と頂けるとき」とおっしゃるのです。こんなにも具体的に、神様と出会える
手立てを私達に残して下さってるわけです。そして、『覚書』『覚帳』は、ある意
味で不成就物語だと思うのです。泥まみれの教祖様が描かれています。これは、何
を意味するのでしょうか。教祖という方は、問題のある度に確かに信心の階段を昇
られた方だ、ということです。
これも、私の最近の実感ですが、教祖様が、「あの世にも持って行け、この世に
も残しておける」と言われるんだけれども、私は、どうでもこの合楽理念だけはき
っちり残したい。それともう一つ、教祖様のご信心の道をどうでももう一遍、明ら
かにしてみたいと思っております。これは、私の生涯かけての、大仕事になりまし
ょうし、これが、私にかけられた神様の願いなのか、というような感じがするわけ
です。
今月は春季霊祭がございます。言わば、御霊月という成り行きでございます。だ
から、御霊様に会おうと思えば、心を御霊様に向けてみよ、ということにもなりま
す。今月は、日々の生活の中に、何回神様を感じられるか、これが焦点になろうか
と思います。私は、教祖様が残して下さったお道を、明らかにしていきたい。また、
そういう願いが私達の中にあるんだろうと思いますね。 どうぞ。
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