平成11年4月18日 和賀心デー御理解(親先生)
御理解第44節
狐狸でさえ、神にまつられることを喜ぶというではないか。人は万物の霊長なれ
ば、死したる後、神にまつられ、神になることを楽しみに信心せよ。
金光大神の道は、凡夫の身そのままに神に至る道なり。
出家することもなく、修道院に入ることもなく、人間を幸福にせずにはおかんとい
う神愛に触れながら……。
その親神の思いにふれる時、いよいよ神の道をたどらずにおられない。
(昭57・7・4)
この度の天地金乃神様の御大祭を、右に教祖金光大神様、左に初代を頂いて、仕
えさせて頂きました。これからは、これが合楽のスタイルになると思います。本当
に、死したる後、神にまつられ、神になられたお二人だと思うのです。普通の生ま
れ方をなさって、普通の生活をして、「凡夫の身そのままに」神になられた御二方
です。皆さん、ここを押さえていないと、「とても私達は、教祖様のようにはなれ
ない」と、教祖様を祭り上げてしまうのです。それで、果たして教祖様を称えるこ
とになるでしょうか。「私のような者でも、間違いなく教祖様のようになれる」と、
その道を歩くことが、教祖様を称えることになると思います。
皆さん、こうして信心を頂かれて、自分が求めるものが変わこられたでしょうか。
成長するにつれて、求めるものが変わらなければ嘘です。これは、自分自身が一番
答えを出せると思います。そのいい例が、先月の十三日会の国師君の発表です。本
当に地獄のどん底に落ちた時、初めて彼の目が開けているでしょう。
そして、この『和賀心教典』を見る時に、貪るように読めるわけです。結局、生
命の目覚めです。「助かりたい、本気で信心してみたい」、まずは、これが信心の
出発になります。そして、お互いが、今何を求めておるかです。そういう意味合い
で、私は今、本当に教祖様のようになってみたいと思います。そして、教祖様のよ
うになれると思うのです。
天理教の教祖様の場合、いきなり天理王命が現れて、神になっておられます。金
光教祖の場合は、いきなりではないのです。段階をおって御神名が変わっておられ、
教祖ご自身、生身の人間そのままの姿で、リアルに現れて下さっているのです。そ
の証拠が、この『お知らせ事覚帳』です。屁をこいた、下痢を何回したまで書いて
ありますよ。土を掘る一介の百姓が、生身のまま神になった方です。
それでは、なぜ今まで、そういう絵空事のような教祖様だったのでしょうか。神
様から一々お知らせを頂かれて行動なさるというのが、安政五年からです。それか
ら、生神金光大神の御神号を頂かれるまで、ちょうど十年かかっておられます。い
きなり神になってはおられないのです。これも、おおいに錯覚していましたが、生
神金光大神というのは、完成された神ではなくて、神でもない、人間でもない、確
かに我と我が心が奉れる、自分の性格が拝めるようになった人です。いうなら生神
(なまがみ)様ですよ。たとえていえば、芋虫が蝶に変わります。その真ん中のさ
なぎの段階です。その証拠に、ここからが本格的な教祖様の修行が始まるのですか
ら。明治四年から、次々と神様の御教導が始まるわけですから。
そして、明治十四年、お隠れになる二年前に「一つ、天地金乃神同様と申し、生
神金光大神。恐れ入りますると申しあげ」とお知らせを頂かれます。このように、
教祖様の御事跡をたどって行きますと、教祖様は、間違いなく神になられる一つの
階段を登って行かれた御方です。しかも、特別な難行、苦行をしてというのではな
く、普通の生活をしながら、生神に確実になっていかれた御方です。
そこで、皆さんは、どうして私達も神様にならねばならないのかと思われるでし
ょうが、それは、子孫繁盛家繁盛の道に繋がるからです。もちろん、目先目先のお
かげも頂かなければなりません。けれども、それを永遠と、何時までも続けますか
ということです。お互いが、もうぼつぼつ、本当の助かりを求めていい時ではない
でしょうか。
私は、大祭の前夜祭で、「どうそ神様、明日はあなたの思いを伝えさせて下さい」
と願って、玉串を奉りました。そうしたら「神の思いが分からなければ、出来ない
だろう」というお言葉を頂きました。間違いなく、神様の本当の思いは、育てずに
はおかんという一念しかないということです。分かりやすく言うと、「這えば立て、
立てば歩めの親心」ということになります。
そういう意味で、教祖様が現して下さった御信心、それを明らかにして下さった
大坪総一郎が残して下さった合楽理念というものを、もうぼつぼつ、お互いが本気
で求めていいのではないでしょうか。教祖様は、然るべき時に、然るべきおかけが
ずうっと頂ける道を残されました。ところが、私達は、そういう道を歩かずに、目
先目先のおかげ欲しさで、百何十年きたのですから。
間違いなく私達の心が育たなければ、より本当のことにはなってまいりません。
それでは、心を育てるためにはどうするか。これこそ、初代が何十年説き尽くされ
たことです。いよいよ私達が、本当に教祖様に、神様に喜んで頂ける信心をさせて
頂こうということになってきた時に、この御理解四十四節だと思うのです。最近、
時々頂きます。四十四ということは、始終、死。結局、自分を空しくするというこ
とです。本当に一つ、手を上げ(無条件降伏し)なければ、これは出来ないのかも
分かりません。どうぞ、信心の目覚めを頂いて下さい。どうぞ。
平成11年4月11日 和賀心デー御理解(親先生)
御理解第86節
女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は
家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家が
もてぬ。
世界の田地であると同時に家の田地でもあるわけですから「豊穣美田」でなければ
なりません。
「いよいよ豊かに美しく」を目標に精進せねバなりません。
よい土になるために、どんないやな問題でも拝んで受ける気になれば、心は肥え、
問題ハ問題でなくなります。
豊かな心に豊かなおかげ。 (昭和52年)
※ウ冠に女と書いて安になります。ウ冠は家の意、家の女は安らいでおらねば家
は繁昌しません。
教祖様のご信心をたどらせて頂けば頂くほど、真に、道理に合っておられます。
それを、初代は、『一切神愛論』の本の中で、「御道の信心を頂く私どもが、まず
教祖の教えが、いかに普遍性、永遠性に富む素晴らしい教えであるかを合点せねば
なりません」と言われるのです。
例えば、普遍性、永遠性の反対は、目先だけの助かりとか、特別な助かり方、一
時的な助かり方ということになりましょう。初代は、敗戦で、裸同様に引き揚げて
みえて、これまでの信心は間違っていた。おかげ信心であったと気付かれ、「より
本当の助かりはないものか、より助かることの出来る道はないものか」という求め
方をなさいました。それで、目先目先の助かり、人知人力での生き方というのは馬
鹿らしいということになられたわけです。皆さんと、初代または教祖様との違いは
どこにあるかと言いますと、今までの生き方では駄目だということで、百八十度の
転換をするかどうかなのです。
教祖様のご伝記を勉強して頂きますと分かるのですけれども、教祖様の真似なら
出来るのです。教祖様が生神金光大神の御神格を頂かれたのは、明治元年です。御
神号が段階をおって変わっていかれたことなども、これまでの宗祖教祖にはないの
だそうです。皆、突然、神になられるのです。ところが、教祖の場合は、ちょうど
階段を一段一段登るようにして、ここにたどり着かれます。
その後も、様々な問題が起こってきます。ですから、この生神金光大神というの
は、完成された教祖ということではなくて、生神(なまがみ)様なのです。これか
らいよいよ本当なことに入って行かれるだけのことです。そして、もう一つは、終
生、「凡夫の私であり、肥かたぎの私で、みんなもそのようなおかげが受けられる」
と言うた教祖は、私は、いないような気がするのです。
私は、先日、たまたま、天理教の教祖中山みきの御伝記の漫画を見せて頂きまし
た。金光教祖とは、真に好対照です。この方は大庄屋の娘として生まれ、大変裕福
な庄屋に嫁がれるのです。だから、結構な生活の中で、ある時突然、神がかりにな
って、「貧に落ち切れ」ということから、家蔵財産を全部あげてしまわれます。ま
た、金光教祖は、それこそ御結界の畳半畳に座りきられましたが、中山みきは、こ
こに十日、ここに二十日というように、どこにでも出かけておられるのです。私は、
それを読ませて頂いて、今、天理教のご信者さんが数百万と言われていますが、皆
が、天理王命が残されたここまでのことが分かってのことだろうか、と思いました。
金光教でいうなら、天地書附の「おかげは和賀心にあり」というところまできた
信者が何人いるだろうかと思います。金光教の場合、結局、「おかげは和賀心にあ
り」ということを教えたいばっかりに、神様が道開きなさったのです。教祖様のご
苦労があったのです。ところが、「おかげは和賀心にあり」という実証をした人が
何人ありますか。金光教も、一時は五百万と言われました。けれども、ただ目先の
おかげ、一時的おかげに潤うただけでしょうが。
まあ他の教団を見せて頂いて、改めてそれを思うたわけです。そういう意味で、
本当に初代が私に語りかけて下さったように、「一人でもいい、二人でもいい、真
の信心を求める人を、真の助かりを求める人を育ててほしい、そのことのために」
という思いを強くさせて頂いております。
今、私の中に教祖様が大変身近になってまいりました。と同時に、教祖様の信心
の歩かれた道というのが、はっきり見え出しつつあります。これなら、「誰でも歩
ける。お互いが、その気になれば、この教祖様のようになら、なれる」と、私は毎
日毎日実感しております。今までは、とても教祖様のようにはなれないと思うこと
が幾つかあったのです。ところが、それが全部クリア出来るのです。これは、また
講座の時にゆっくりお話します。
光昭が言っていますが、吉田松陰の松下村塾は、開校が、わずか一年七カ月だっ
たそうです。その中に、あの明治維新を支えた人物が、たくさん育ってます。教え
る方もどれだけ一生懸命だったか、また習う方も必死だったと思います。厳しいよ
うですけれど、このわずか一、二年です。填まるというのは、そのくらい填まらな
ければならんでしょう。お互いが、普遍的助かり、永遠の助かりを頂き現す、そう
いう責任、そういう願いを感じて、教祖様が誰でもなれるとおっしゃっるところま
での成就を願っていかねばならないと思います。どうぞ。
平成11年4月5日 朝の御理解(親先生)
御理解第49節 信心は相縁機縁。
お芝居でやるお半長右衛門にしても、相縁機縁である。お互い信心の上でもお半長
右衛門的なものはないだろうか。
楽やご利益やお義理だけが縁のもとになっておったり、現世だけが金光さま、あの
世ではお釈迦さまと言うのでは、笑えぬナンセンスも起こりかねない。
「縁は異なもの味なもの」とも言う信心の縁は、どこまでも有難い、味なものに育
たねばならぬ。異なものだけで終わってはならぬ。
あの世この世を通しての金光さまでありたい。 (昭45・7・31)
お互いの神様との関係というものが、どの程度の関係になっておるか。もう切っ
ても切れぬ仲なのか、時々思い出す程度なのか。また、私どもの生活の中に、どれ
ほどに神様が入り込んできて下さっているかという事。これが信心の一つのバロメ
ーターと言ってもいいのではないでしょうか。私が、しきりに後二年、填まりまし
ょうと言うのは、皆さんと神様との関係を点検して、親密なものにして頂きたいか
らなのです。
教祖様と神様との関係を見ます時に、改めて七墓を築かれる件りを拝読させて頂
きますと、教祖様のお気持ちは、如何ばかりあっただろうかと思います。後に教祖
様が「残念至極と始終思い暮らし」と言われるのですけれども、こうして金神七殺
になっていく時に、何と恐ろしい神様だろうかということですよ。それが、四十二
歳の御大患で、初めて神様のおかげを受けられる。この神様は向かい方一つではお
かげを下さる神様だということに気付かれる。そして、いよいよ「神の頼み始め」
という件りになります。それから、安政五年、六年の教祖様と神様との緊密な関係
ですね。神様が一々お知らせ下さって、教祖様の一挙手一投足に至るまで関わって
みえるわけです。
教祖様のように、神様からお知らせを頂けないなら、神様との親密な関係が出来
ないか、といえば、そうじゃありません。私達の場合、成り行きの中でそういう働
きを頂いているのです。例えば、一日があのお天気で、翌日は雨嵐でした。ところ
が、その間、少年少女会の人達が、夜須でキャンプをしてまして、恵城が言ってま
したけれども、「本当に、プログラムに合わせるような、お天気の御都合を頂いた」
と言うのです。
そのように、成り行きが私中心に働いて下さっておるという体験なら、合楽の皆
さんなら、誰でも頂いているでしょう。それが、ずうっと頂けるように、本当はな
って欲しいわけです。ですから、神様との親密な関係ということは、成り行きとの
親密な関係です。成り行き抜きには、もうここ一歩が動けない、ということになる
ために、お互いが填まらなければならないのです。
『教典』の48ページを見て下さい。「卯十一月二十四日早々お知らせ。一つ、
日天四の下に住み、人間は神の氏子。…氏子身上のこと、なんなりとも実意をもっ
て願い」とあります。ここで、神様と教祖様との関係が、親じゃないか、子供じゃ
ないかという親子関係になっておられます。考えられますか。あの七殺をなさった
神様と「何でも頼みなさい」とおっしゃる深い関係になっておられます。
今度は53ページです。「一つ、日天四、月天四、丑寅未申鬼門金乃神社、生神金
光大神社」とあります。こうやってどんどん名前が変わっていかれます。教祖様と
神様との関係が、いかに次々に変わっていかれたか分かります。そして「神徳をも
って天地の芯と同根なり」となっておられます。どうですか。お互いと神様との関
係が、これほどに変わっていっておられるでしょうか。
昨日松栄会と豊栄会を併せて共励会をさせて頂いて、抜き打ちでテストをしたの
です。ほとんどが三十点以下ですね。ただ私が驚きますのは、秋吉教会のご信者さ
んです。受講したことをまとめて先生に出すのだそうです。そして、それを私に持
って来てくれます。完璧に覚えてますよ。私は、今度ばかりは、ただ聞き流しでは、
もったいないし、申し訳ないと思います。
これは何だろうと思います時に、私が十七年間、本気で御理念というものを行じ
させて頂く中で、「これはどんなに考えても人に伝えなければならない。何とかし
て、この人類の宝は残すべきものだ」というものが、私の中にいよいよ強くなって
いくからですよ。また、教祖様にこのように夢中になっておりますのも、教祖様の
御信心が、それこそ前代未聞の宗教だというものが、私の中に強くなっていってお
るからだと思いますね。
教祖様と神様との関係ですが、天地の芯と同根というのは明治三年でした。それ
からも、もっと深くなっていかれます。そして、『覚書』は明治7年に書き出され
ます。その11ページを見て下さい。結局、私は、ここになってくると思うのですね。
決定的な事は、自分が、どういうOが書けておるかだと思います。「ここまで書い
ておのずと悲しゅう相成り候。金光大神、その方が悲しいのではなし。神、仏、天
地乃神、歌人なら歌なりとも詠むに、神仏には口もなし。うれしいやら悲しいやら、
どうしてこういう事ができたじゃろうかと思い、氏子が助かり、神が助かる事にな
り、思うて神仏悲しゅうなりたの」というわけです。
お互いに、こうやって合楽に御縁を頂き、金光教に御縁を頂いて、本当に金光教
の値打ち、合楽理念の値打ちを、まずは、自分自身が納得して、それを残していく
その責任が、私は合楽にあると思います。
平成11年4月4日 和賀心デー御理解(親先生)
御理解第26節
信心に連れはいらぬ。ひとり信心せよ。信心に連れがいれば、死ぬるにも連れが
いろうが。みな、逃げておるぞ。日に日に生きるが信心なり。
只今の御祈念前に二人の方からこんなお届けがありました。一人は殺された夢、一
人は自分が死んだ夢。
私は申しました。
「一遍焼き直さんと本当の改まりが出来んよ」と。(死ぬということはメグリも一
緒に死ぬとの意)
『日に日に生きるが信心なり』とは日に日に死ぬること。即ち、自我を殺すこと。
そこから『日々が新』の信心が生まれる。他の追従を許さぬ独創的な「連」の要ら
ない信心が出来るようになる。 (昭51・7・9)
この御理解は、助かりの自立です。信心はここまで頂かなければ意味がないと思
います。ところが、ほとんどの宗教が、先生なら先生にお願いをして、おかげを頂
くというパターンです。金光教は、天地書附にある「おかげは和賀心にあり」とい
う助かりを頂かなければ、金光教にご縁を頂いた値打ちはありません。
昨日、四国から、中谷文治さんという方が、お参りになりました。今こうして一
生懸命、教祖様を頂こう、現そうと取り組んでおりますから、神ながらなことだな
あと思います。金光は大谷と言いますし、文治という名は教祖様のお名前ですから、
感動しました。けれども、まだまだ、中谷文治さんぐらいだろうと思います。まだ、
大谷の生神金光大神というところまではいきませんけれども、少なくとも、確実に
教祖様を現していっておるということだけは、確信していいと思います。
昨日、どなたかが、『十三の暗号』という本を持ってきて下さいました。十三と
言うのは、一番不吉な数字というふうに言われております。ところが、「キリスト
教以前は、十三は幸運の数字だった」と書いてあります。もう一つは、「十三には、
ネガをポジに、ポジをネガにする転換作用がある」と。それに、「安定した十二の
世界に、ショックとして十三が作用することで、次なる新しい世界を作り出すこと
が出来る」とあるのです。
また、昨日、見せて頂いた別の本の「金神信仰と新宗教の流れ」という中に、
「幕末維新期に、岡山県浅口郡に成立したのが金光教である。こともあろうに、金
神を主斎として祀るという、とてつもないインパクトを持った新宗教の出現であっ
た。金光大神は、悪神とされた金神こそ、実は宇宙最高神、天地の親神であり、愛
の神であり、天地金乃神として讃えたのである。それはまさに既成の金神の概念を
打ち破るコペルニクス的転換であった」と書いてあります。
当時の金神を、天地金乃神と見極めるということは、どういうことでしょうか。
ブラジルには、マクンバという、人を呪い殺す宗教があります。そのマクンバの神
様が、実は天地金乃神様ですよというのに等しいのですから、今のブラジルでは考
えられないことでしょう。
ですから、その転換の実感が、私達にどれだけあるだろうかということです。ま
た、東さんが、「厳しいという字も恐ろしいという字も、神愛と読むんだよ」とい
うお夢を頂いております。皆さん、信じられますか。それほどに違うのです。まさ
に、白と黒とが全く反対に見えるということです。どうでも皆さん、一切神愛の鍵
を持って下さい。これから様々な事が起こりますよ。もうこれ以上進めんとという
ことにも出会います。行き詰まって自殺された方が、昨年だけで二万四千人です。
それは一切神愛という鍵を持たないからでしょう。
昨日、あるテレビ番組を見せて頂きました。それは、今の子供達が、いろんな犯
罪を犯すから、何とか教育の仕方を変えなければいけないというものでした。どう
ですか、今、心を育てようと言っても、優しい心とか、思いやりの心、愛の心では、
通じません。また、必ず壁にぶつかります。では、どういう心を育てるのか。それ
は天地日月の心です。優しい心とか、人をいたわる心とかというのは天の心です。
しかし、それだけでは、世の中は渡れません。様々な難儀、様々な事がある時、そ
れを受け抜ける力、それが地の心です。そして、それを貫く心が日月の心です。し
かも、合楽では、天地日月の心が育つようになってるのですから、大した所だなあ、
大した事を習ってるなあと思います。
『教典』の173ページの22を見て下さい。ここは結局、「一切が神愛という、
本当のおかげを知った者がいない、本当の神様を現した者がない。その本当のおか
げを万国まで知らせたい」という件りだと思います。そういう意味で、私は、教祖
金光大神様という方は、間違いなく一切神愛の創設者であり、私達に一切神愛とい
うことを示された御方だと思います。
そして、私達の信心の自立というなら、各々が一切神愛という鍵を持つまでです。
ですから、私がこの二年、填って下さいと言っているのです。もう寝ても覚めても、
それこそ神様のこと、教祖様のことを思い続ける二年間になってごらんなさい。必
ず、物の見方、考え方が、一次元、抜けますよ。これに、私は執念を燃やしたいと
思います。
初代が私に言われましたように、一人でも真の信心を頂く人を育てることに、私
は生涯をかけたい。どうでも、百人一徳者の育成にかけたいという願いを、いよい
よ強くさせて頂きました。どうぞ。
平成11年4月3日 朝の御理解(親先生)
御理解第67節
何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。
目の見えない人、耳が聞こえない人、人それぞれ様々なれば、各自その自覚に立っ
て信心せねバならぬ。目が見えないため、かえって目明きが不自由に見えるほどの
勘も強くなり、耳が聞こえないために人の心を読むことが誰よりも的確になるよう
なもの。
それぞれ身にもてる力が充分発揮できるよう精進が肝心。いよいよ極めにきわめて
ゆくことが楽しゅうなり有難うなることに努めねばならぬ。
(昭52・7・19)
この御理解は、最近、頻繁に頂きます。教祖様は、よく「世は変わりもの」とお
しゃっていますが、確かに何事も釘付けではない。仏教的に言えば、無常と言うわ
けです。その無常の世の中にあって、ただ時代の流れに右往左往して生きるという
のではなくて、よく初代が、「火にも焼けない、水にも流されない」と言われてい
ましたけれども、お互いが、そこまでの確たるものを持った信心を確立させなけれ
ば出来ない時代に来ておるのではないかと思います。
昨夜、幹三郎夫婦が改めて私の部屋に来て、「この度のブラジル行きを機に、私
ども夫婦の、本気での信心を頂きたいと思います」というお取次を願いました。私
が「この二年、背水の陣を敷かなければいけないよ」と言っていますが、そうでな
いと、絶対に信心の確立が出来ないのです。いつか、どうにかなるだろうでは、絶
対になりません。
私がよく兄弟達に「お前達は本当に布教した積もりになっておるか」と言います。
本当に背水の陣を敷いているなら、朝から晩まで神様は外されませんよ。例えば、
海外布教をして、それこそ誰もお参りのないお広前に座り切って、その中に神様を
感じていくというなら、とても、今のようなぬるま湯には入っておられません。初
代の遺言の中に「あなた達、士農工商の信心が、それぞれに成就していかなければ
ならない」とありますように、大坪総一郎という方の信心を現すには、間違いなく、
4人の兄弟の信心が要るのです。けれども、これは、何と言うても、ご時節を頂か
なければ、出来ることではありません。けれども、この二年、本当に今、そのご時
節が来ているのです。
教祖様がどの時点で、背水の陣を敷いたような信心をなさったか。初代がどの時
点で、背水の陣を敷かれたか。教祖様にすれば、あの四十二歳のご大患後です。教
典の12ページを見て下さい。「一つ、私四十三歳の年、丙辰の年まで身弱し、難渋
いたし。一つ、私、病気難渋のこと思い、月の朔日十五日二十八日三日、朝の間か
けて一日と思いつきて、神様へ御礼申しあげ、神々様ご信仰仕り、願いあげ奉り」
とあります。教祖様の事を、皆が「信心文さ」と評したというのは、この時代だそ
うです。
初代で言えば、終戦で、裸同様で引き揚げてみえます。そこから、「今までの信
心では駄目であった。本気で信心してみよう」と決心されます。私が今日言いたの
は、ここなのです。お互いが何時、これに目覚めるかなのです。私の場合、初代の
お手替わりをさせて頂い時が、まさに、それだったのです。そして、有り難いこと
に、本気で信心してみようということになった時に、私達の場合、その手立てがあ
るということです。
皆さんは、自分の性格、自分の欠点にお礼が言えていますか。初代は、人それぞ
れ、百人百様の性格があるが、誰でも自分の性格が拝めるようになるとおっしゃる
わけです。だからというて、背水の陣を敷かないと、絶対に人間が変質することに
はなりません。自分の信心が確立出来ません。といって、それは、長い期間はいら
ないのです。
昨日、また新しいことを神様が気付かせて下さったなあと思いました。昨日、神
愛会で先生達と、教祖様の勉強をさせて頂きました。和賀心教典の3ページに、
「見逃してならぬことは(立教)神伝が下るまでの教祖の信心、即ち、天地金乃神
との、またとない無類の親密な交流のことである。だからこそ家業を止めて天地金
乃神を助けてくれ、ということにまでなったのである」とおっしゃっています。立
教神伝を受けられるまで二年間、教祖様と神様との関わり合いに、例えば、天気の
事一つ一つをお指図になったり、生麦のまま俵に詰められるとか、神様が手伝って
一緒に唐臼を回してやるとかが、ずうっとあるわけです。これを指して、初代が
「神様と教祖との親密な関係」とおっしゃるのです。
填まらないと、これが出来ないのです。皆さんが、本当に好きな人が出来たら、
もう寝ても覚めても思わずにはいられないでしょう。一遍、あなたと神様とのこう
いう親密な関係が出来なければ、どんなに素晴らしい合楽理念と言っても、絵に書
いた餅にしかなりません。神様の一分一厘間違いのない御親切に触れて初めて、御
理念が生きてくるのです。
教祖様の信心の神髄に触れ、教祖様が本当に授けたいというおかげを授けること
が、合楽の使命であり、私の大使命だと思います。一人一人が生命の輝き、生命の
原石を持っておられます。それを磨き上げ、輝かしていく、百人一徳者育成は、合
楽の大使命です。一つお互いが、そこを願って頂きたいと思います。そして、もう
一つ大事な事は、教祖様の御事跡を勉強しているのは、頭を肥やすためではなくて、
心を肥やすために勉強しているということです。
平成11年4月2日 朝の御理解(親先生)
御理解第61節
神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておか
げを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆく
のぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、
神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。
形のおかげがついて来るほどの心の助かりに、尽きぬおかげが頂ける。梅の花が
馥郁とした香りをただよわせながら花を咲かせるように、自然に鶯宿梅の働き、即
ち頼まんでも現れるようなおかげを人に伝えるならば伝わらぬはずはない。神願成
就ということは人間が助かるということが第一です。これが神様への第一の御礼に
もなるのです。このような信心が徳を受けることになるのです。「これが神になる
のぞ」にもつながることです。 (昭52・7・13)
お互いが、このように合楽に、また金光教にご縁を頂いたのですから、その価値
を価値たらしめるおかげを頂きたいと思います。それは結局、明治6年の、あの神
前撤去という難儀の中に生み出されてきた、天地書附の内容を頂くことです。「生
神金光大神 天地金乃神 一心に願え おかげは和賀心にあり」というところまで
いって初めて、私は、金光教にご縁を頂いた値打ちたらしめるということになると
思います。
私は、いつも思うのですけれども、教祖様の場合、必ず過程があるのです。いき
なりではなく、神様も、段階を踏んでご教導なさるのです。教典の94ページbV
に「同じく七月二十四日、日天四様ご縁日、仰せ付けられ候。運勢のこと、普請、
作事、方角のこと、宅がえ、縁談のこと、理解でよし。」とあります。これは、明
治4年です。
これでうかがえることは、その当時の皆さんのお参りの仕方が、結局、お伺い信
心なのです。運勢のこと、普請、作事、方角のこと宅がえ、縁談のことなど、そう
いうお伺いにばっかり来るけれども、「理解でよし」と。結局、「365日、丸々
おかげ日であり、宅替えでも、縁談でも、神様にちゃんとお願いしていけば、それ
でいいんだよ」という理解でいいんだよという教導が始まるわけです。それでも、
皆は、目先のおかげばっかり求めてきます。
そのがっかりされた姿が、次の95ページ、12に書いてあります。あの世にも持
ってゆけ、この世にも残しておけ、しかも子孫繁盛のおかげが頂けるようなお話を
しておるのに、みんなが分からないという嘆きを感じるでしょう。
そういう段階を踏まれて、いよいよ神前撤去ということになります。いわゆる布
教の差し止めになって、御広前を片付けられ、それこそ荒れの亡所となって、裏の
控室に控えられての日々を過ごされます。そして、約一カ月後、「旧二月十五日早
朝仰せつけられ。酉二月十五日、金光、生まれ変わり。十カ年ぶり風呂に入ること
おさし許しくだされ。生まれ日改め」とのお知らせを頂かれます。
まさに新生金光教です。この明治六年は、初めて金光教のスタイルができた年で
す。そして、気持ちも新たになって、その二日後に、天地書附が下るわけです。こ
の天地書附が、今日のような、きちっとしたものになりますのは、それから、およ
そ一カ月後のことです。天地書附ということは、金光教の信心の指標を明らかにさ
れたということです。「金光教の助かり方とは、金光教の信心とは、和賀心になる
ことですよ」という、信心の指標が定まったのです。
続いて、「二十四日仰せつけられ。金光大神、表へ向き。日月様ご縁日」とあり
ますが、これは、今日の御結界のスタイルができる記述です。この時に、神の願い
を氏子に取次ぎ、氏子の願いを神に取次ぐという、スタイルができたわけです。ま
た、有名な三神伝の一つであります、御理解第三節の内容を頂かれるのも、この明
治6年です。これで、天地金乃神様の神性が明らかになります。天地金乃神という
神名が、きっちり定まると同時に、天地金乃神というのは、こういう願い、こうい
う働きをするんだよという、神性が明らかになります。ですから、この明治六年と
いうのは、まさに新生金光教の誕生です。
ところが、過去の金光教の信心というのは、明治6年以前で止まってるのです。
どんな熱心な信者さん、どんなにお徳の高い先生といっても、明治6年以前で終わ
っているのです。そういう意味で、大坪総一郎という方は、椛目時代から、この明
治6年、天地書附に着目されました。そして、その和賀心になるためには、どうし
たらいいかという手立てまで、遺して下さったのです。だから、「おかげは和賀心
にあり」ということになって初めて、教祖様が言われる「尽きぬおかげ」というこ
とになり、「真の道を踏んでいくのぞ」ということになります。
今日の御理解を頂きながら、本当にどれだけ違わぬように、教祖様の願い、思い
というものを伝えてこれただろうかということを思います。昨日が神愛会でした。
ですから、神愛会の先生達に、「先生、お願いしますと。どうぞ、合楽理念で止め
ないで下さい。大坪総一郎で止めないで下さい」とお願いしました。
いうなら、教祖金光大神を表すことのために、金光教を世に表すことのために、
大坪総一郎のご出現があり、合楽理念があるんだということです。そういう意味合
いで、ようやく、私どもが、教祖様の願い、思いというものを現せる時代にきたの
かなと思います。また、その責任を感じております。 どうぞ。
平成11年4月1日 勧学祭(親先生)
今日のお祭りは、初代の御生誕の御礼、また月例祭それに勧学祭も合わせてです
けれども、私の実感といたしましては、神様が、よくも、この大坪総一郎という方
を差し向けて下さったなあ、ということの御礼のお祭りでした。これは、まあ失礼
な言い方か分かりませんけれども、私と皆さんとの違いは、初代に対する思いの深
さ、または合楽理念に対する確信の違いだと思います。
私が、初代のお手代りさせて頂いて十七年、曲がりなりにも、合楽理念の実験実
証をさせて頂き、ただひたすら成り行きを尊ばさせて頂いて、これほどにも間違い
のないという確信の深さ、そこに、自ずと初代に対する思いが、日に日に強くなっ
てまいりました。とくに今、教祖様の御信心をたどらせて頂く中で、教祖様の偉大
さが分かれば分かるほど、初代のすごさというものを改めて気付かせて頂いておる
わけです。
教祖様の御信心の特色の中に、御神号がずっと変わっていかれる点があります。
こんなことは聞いたことがありませんから、荒木美智雄という、世界的な宗教学者
に確認してもらいましたら、教祖様のような例はないのだそうです。これは、教祖
様のお心が、一段一段進んでいかれている証です。
例えば、学校には、知識を得るために、それだけのカリキュラムがあります。と
ころが、心をつくるためのカリキュラムというのはないのです。今、子供達の犯罪
が続発しています。世界中が問題にしています。どうしてこうなったのか。結局、
心を育てることを忘れていたのです。そのことに気付いて、国をあげて地域をあげ
て、取り組んでおります。けれども、どうしたら、心が育つかという、そのカリキ
ュラムがないのです。
そういう意味で、初代にしても、教祖様にしても、心が一段、一段進化していか
れているのです。それでは、どうやって、心を進化されたかということです。今た
どってみると、間違いなく、「この時にこの問題を通して、心を育ててある」とい
うのがはっきり見え出したのです。
御伝記『金光大神』というご本がございます。私は、何十回か読みました。けれ
ども、今までは、半分は作り話ではなかろうかという見方をしてました。神様が手
伝いをされて、臼を回されるとか、いちいち天気のお指図を下さるとか、普通の凡
人では体験できないようなことがたくさん書いてありますから。結局、げすの勘ぐ
りなのです。
自分が犬猫同然の世界に住んでおりますと、人間の思考パターンが分からないの
と同じだと思います。私の犬猫同然の心が、少なくともこの十七年間、合楽理念と
いうものを実験実証させて頂き、間違いない手応えを頂く中で、少し育ってきまし
た。その中から、教祖様が、真に見えるようになりました。
そして、もう一つは『お知らせ事覚帳』です。その中には、ご長男が、三十数回、
無心に見えられたことや、ご晩年に御容体が悪くなられて、下痢が続くことや屁が
出たということまで書いてあります。一教の教祖様がお書きになることでしょうか。
普通世間では、「百日の説法も屁一つ」と言います。どんなに有り難い話をしても、
屁一つで、その有り難いお話が消えるというわけです。ところが、私の場合、本当
に百日の説法が、屁一つで確信できるようになりました。「これだけ赤裸々な教祖
様が、しかも、これだけ実意な方が、うそを書かれるはずがない」という読み方が
出来るようになりました。
教祖様の広前で、文久二年から例の山伏事件が始まります。立教神伝が下がって、
三年ほどしてからのことです。教祖様は無資格で、しかも「日柄方位を見るにおよ
ばず」ということを言われるのです。山伏というのは、この日柄方位を見て生活を
立てていたのです。それに、ねたみです。それで、文久二年から明治五年まで、約
十年間、続くのです。
初代もそうです。無資格で、教会の認可もないのに、人がどんどん助かり出しま
した。それが昭和二十五年です。それに、過去の金光教とは全く違うことを言い出
されたわけです。それで、周囲から、様々な非難を受けられました。それが、合楽
教会の認可を受けるまで十七年間、続くのです。十三日会が発会されたのもそうで
す。「本部参拝してはならん」ということから、あの十三日会が出来ました。まあ、
様々なことがありました。そういう時に、必ず、出たご理解が、「結局、私が、小
さいからだ。大きくなりたい。大きくなりたい」でした。それが後々、「黙って治
める」という御理解になるのです。
この山伏事件のようなことは、お互いの生活の中でもあるでしょう。いろんな意
地悪をされたりとか。そういう時にどういう信心を身に付けるかなのです。ですか
ら、教祖様が、その時に、どういう信心を身に付けられたのかを分かることが肝要
です。その時に、大坪総一郎の信心を下敷きにしなければ、それが見えないのです。
どうでも、教祖様の御信心の体系化をしなければいけません。この体系化が、カ
リキュラムです。合楽理念には、実は、心を育てるカリキュラムがあるのです。そ
れを実証させて頂くことになれば、世を照らす大変な光になります。21世紀とい
う時代は、本当のものに光りが当てられる時代になりましょう。
今日のお祭りを仕えさせて頂いて、改めて、この初代、大坪総一郎という方を差
し向けて下さった価値を価値たらしめなければ、本当に申しわけないことだなあと
思わせて頂きました。どうぞ、教祖様が始められた夢を、本当に受け継がれる私達
でありたいと願わせて頂きます。
平成11年4月1日 朝の御理解(親先生)
御理解第67節
何事もくぎずけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。
今日は、変形ですけれども、前のページ、392ページのミニ御理解を頂きます。
教祖様ほど素朴な生き方をなさった方はあるまい。しかも天地の道理に基づき
『討ち向かう者には、負けて時節に任せ』という生き方こそ土の心であろう。
人間は土より出でて土に還ると言われる。その道中とても土の心を身につけての生
き方こそ、御道の信心者の神髄でもあろう。 (昭57・7・26)
今、ご時節を頂いて、教祖様のご信心をたどらせて頂いておりますけれども、本
当に、教祖様ほど、信心が日進月歩で進んでいかれた方は、ないだろうと思います。
一つの印が、教祖様の御神号がどんどん変わっていかれていることです。それに伴
って、神様の御神名も変わっていかれているのです。いわゆる、あいよかけよの道
というのが、ここのところです。
私は、こんな宗教はないと思います。しかも、御神号が変わっていかれるのが、
必ず、何か大きな問題があった後なのです。ここも、教祖様のご信心を体系化して
いかなければならないところだと思います。そのように、教祖様は信心を一段一段
進められた方です。そして、生神にまでなられて、なお永遠に進化し続けられた方
です。ところが、いろんな宗祖教祖というのは、ほとんどの方が、それこそある日
突然、神の啓示を受けて、道開きするでしょう。そして、その時から完成した教祖
なのです。
これも、私どもが大いに錯覚していました。教祖様の御大患は42歳ですね。い
わゆる、神のおかげの頂き始めということになります。それから、立教神伝が下が
るまでに、4年かかっておられます。そして、その時点では、教祖様の御神号も、
まだ「金子大明神」なんです。ここも、錯覚しやすいところです。立教神伝を頂か
れたら、何かいかにも完成された教祖というような感じがしますけれど、未だ未完
成な教祖様です。
御神号の変遷を見てみましょう。安政5年に「金神下葉の氏子」という御神号を
頂かれます。同じ年に「金神一乃弟子」となられ、次に「文治大明神」、翌年の安
政6年に「金子大明神」、3年後の文久2年に「金光大明神」というように、御神
号が変わっていかれます。その2年後、元治元年に「金光大権現」、さらに4年後
の明治元年に、最後の「生神金光大神」という御神号を頂かれます。
この間が、なんと10年だそうです。「3年5年の信心では迷いやすい。10年
と信心が続いたら、我と、我が心を祭れ」と。まさに、その実証でしょう。だから
といって、「生神金光大神」の御神号を頂かれたから、教祖様が完璧になられたと
いうことじゃないですよ。完璧の域に入られたということです。それから、御帰幽
まで、教祖様のご修行は、なお続くのですから。
それでは皆さん、教祖様が、どういうことで信心を進めていかれたと思いますか。
その一番いい例が山伏事件です。しかし、このことが『覚帳』には、一行も書いて
ありませんし、『覚書』にも、わずか2、3行しか書いてありません。ところが、
庄屋の小野四衛門さんの日記にくわしく記されていたのです。
初代の場合も、金光教神愛会を設立されて、金光教合楽教会の認可を受けるまで
の17年間、周囲から大変な非難を受け続けられます。そして、その時の初代の話
された御理解は、必ず、「結局、私が小さいからだ。鯨のような大きな私になれば
よい。いよいよ大きくなりたい。大きくなりたい」でした。
教祖様の場合、どういう受け方をなさったかと言うと、「討ち向かうものには、
負けて、時節に任せよ」ということでしょう。ところが、どこをどういう任せ方な
のか、どうやってその時節を待たれたのか、その内容が分からないでしょう。そこ
になると、大坪総一郎という方の信心を持ってこないと、分からないのです。教祖
様は、間違いなく、10年間、一切の事柄を、自分の信心の根肥やしにしていかれ、
力にしていかれたのです。
今日は、初代のご生誕の日ですが、私は、そういう意味で、改めて、教祖様に、
お礼を申しあげました。初代にお礼を申しあげました。本当に、この合楽理念とい
う解読書があるから、教祖様の信心が見えるのです。
教祖様のご信心のご内容というものは、本当に驚くべきことばかりです。ちなみ
に、「東長屋建てかえ」の記述に、「二間に四間、にわ(土間)四尺、間半ひさし、
一丈一尺柱立ち」とありますが、事毎に、大工さんが、絶対に使わない寸法なんだ
そうです。私は、教祖様のこの挑戦に驚いてしまいました。後に、便所も建て替え
られるのですが、わざと豹尾金神の方向に造ってあるのです。
ですから、教祖様が何を私達に伝えたかったのか、それは間違いなく「365日
丸々おかげ日ですよ。この天地宇宙のどの方角も神様のご神愛の土地ですよ」とい
うことです。だから、それを後々に、初代大坪総一郎師が「一切神愛」という言葉
に代えられただけです。ですから、まさに教祖様こそ、「一切神愛」の発見者です。
創設者ですよ。
ところが、そのご事跡のご内容というものは、大坪総一郎の「一切神愛」という
目でしか見えないのです。その目で見るから、このことに気付かせて頂けるのです。
そういう意味で、合楽には、教祖様のご信心、初代のご信心を頂き直し、教祖様の
ご信心を今日に復活させる責任が大いにあると思います。どうぞ。
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